端午

菖蒲の節句

五節句の中でもよく知られているのが、3月3日の桃の節句とともに5月5日の端午の節句でしょう。「端午」は月の端(はじめ)の午(うま)の日という意味で、「五」と「午」が同音なので、五月五日を特別視するようになったと言われています。他の節句もそうであるように、もともとは 季節の変わり目の祓えと物忌みのための日でした。節句の本家中国では、2000年以上昔からこの日に菖蒲や蓬を摘み、家や門に飾る風習がありました。日本においては、推古天皇の時代(7世紀初頭)、5月5日に薬草摘みをしたという記述があります。誰もが古典の授業で習った覚えのある、万葉集の額田王と大海人皇子の相聞歌

茜さす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る額田王
紫のにほへる妹の憎くあらば 人妻ゆえに吾恋ひめやも大海人皇子

は、この薬草摘みの宮廷行事での宴会の戯歌として詠まれたものと言われています。古代人にとって、薬草摘みは神事であると同時に、野山に出て楽しむ遊興でもあったのでしょう。

女の祭りだった端午の節句

端午の節句が行われた旧暦5月は現在の6月ごろにあたり、田植えシーズンでもあります。農耕社会において最も重要なこの時期、農村の女性たちは、田の神を迎えるために身を浄め、物忌みをしました。それを「女の家」「女の天下」と言いました。昔の農耕社会では、女性は田の神を迎える巫女であり、「端午の節句」は女性のお祭りだったのです。それが男子の祭りになったのは、武士階級が政権を執った鎌倉時代以降のことです。端午の節句につきものの菖蒲が「尚武(武を尊ぶ)」に通じるとして、男の子の健やかな成長を願い、家の発展を願う習慣となっていったのです。

端午の節句の飾り物

鯉のぼり
鯉が急流を上がり、竜門という滝を上ると竜になって天へのぼるという中国の故事「登竜門」によるものです。つまり、鯉は出世の象徴であり、男の子の成長と立身出世を願って飾ります。
鎧兜
武家にとって、戦で武功をたて禄高をあげることは最も大切なことでした。そのための武具である鎧兜を家の表に飾り、立身出世を願い、家督にふりかかる災厄を祓ったのが始まりです。これが庶民にも広がっていったのですが、武具など所有してない庶民は厚紙などで鎧や武者人形を作り、それを飾りました。それが民衆文化の台頭とともに、精巧なミニチュアの鎧や人形になり、室内飾りへと変化していったのです。

節句コラム

菖蒲と花菖蒲
~見て美しく、薬効もある?~

端午の節句には、魔除け、火除けのまじないに菖蒲と蓬を束ね軒先に挿したり、菖蒲を入れた湯につかります。菖蒲の香気によって魔を祓うとともに、旧暦では梅雨の時期にあたり、気温も湿度も高く疫病や食中毒などの発生しやすい季節を、菖蒲の薬効により健康に過ごすためという実利もありました。ところで、菖蒲というとあの美しい紫の花を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。実は、端午の節句に飾る「菖蒲」は、あの「花菖蒲」とは全く別の植物。「菖蒲」はサトイモ科で水芭蕉の仲間、「花菖蒲」はカキツバタやアヤメと同じくアヤメ科の植物です。葉っぱこそ似ていますが、「菖蒲」の花は蒲の穂に似た全く地味なものです。花は地味でも菖蒲には素晴らしい薬効があります。全草に芳香があり、根を11~3月に採取し乾燥したものは菖蒲恨(ショウブコン)といい、健胃や去痰に用います。葉には抗菌・鎮静作用があり、菖蒲を入れた湯につかれば、薬効作用と香りの相乗効果で疲れがとれ、気持ちよく眠れます。菖蒲が手に入ったら、ぜひ菖蒲湯につかってみてください。(画像は花菖蒲です)