七夕

たなばたの由来

7月7日は「七夕(しちせき)の節句」です。中国の宮廷行事「乞巧奠(きっこうでん)」に、もとから日本にあった「棚機女(たなばたつめ)」の民間信仰が融合し、現在の形になりました。「乞巧奠」は、天帝の娘「織女(しゅくじょ)」と「牽牛(けんぎゅう)」の恋物語にちなんだ星祭です。昔は朝一番に、里芋の葉にたまった露を集め、その水で墨をすり習字をして芸事の上達を願ったそうです。天上で機を織る織女は手芸の神様であり、針仕事や習字、詩歌などが上達するよう織女に願ったのです。

また、「乞巧奠」伝来以前から、日本には棚機女(たなばたつめ)という行事がありました。機織りの乙女が水辺で神の降臨を待つという農村の「禊ぎ」の行事です。「たなばた」の読みは、この棚機からきています。

節句コラム

星たちが出会う祭
~なぜ梅雨時に星の祭?~

七夕には、天の川を隔てた二つの星(織女=こと座のヴェカ、牽牛=わし座のアルタイル)が1年に一度巡り会うといわれます。しかし、実際にはこの時期はこれらの星の観察にはあまり向いていません。新暦7月7日は、ちょうど梅雨の時期にあたり、雨に降られて星が観察できないこともしばしば。また、この時期にはまだ2つの星は東の空の下の方で輝いており、観察は難しいのです。では、なぜこの時期に七夕の節句を行うようになったのでしょうか。今では梅雨時期にあたる7月7日は、旧暦では現在の8月中旬から9月上旬にあたり、梅雨もあけ、天気は安定してくる時期なのです。また、旧暦は月齢によって暦を作るため、7日は必ず月齢7日(上弦の月=半月)頃で、あまり月明かりに邪魔されずよく星が観察できました。旧暦7月7日をそのまま新暦に当てはめたため、織姫と牽牛にとっては1年に1度の逢瀬もままならなくなってしまったというわけです。